落ち着く低音の声…
柔らかそうなウェーブのかかった金髪…
話しているととても心が安らぐ…
そんな存在の人。
こんな素敵な人に恋人が居ない筈は無いって思ってた。
思ってた…けど…
こんな身近に居たなんて…
おとなりさん
「何?知り合い?」
マリューさんの声で我に返る。
いつもと変わらないラフな格好のムウさんもまた、はっとした表情で視線をカウンターに戻した。
「…あぁ…図書館でな…」
「ムウが図書館だなんて珍しいわね。」
クスクスと笑いながらカウンターにコーヒーを置く。
そうするとムウさんは自然とマリューさんの前へと腰を下ろした。
「生徒に本を薦められて覗いたんだ。
その本が見つからなかったんだけど丁度そこに彼女が居て。」
「…たまたま彼の探してた本が私の愛読書だったんでお貸ししたんです。」
「ムウが活字…?」
「案外面白いもんだな。今じゃ毎週通ってるんだ。」
「知らなかった。てっきり午後からは映画に行ってるのかと思ってた。」
マリューさんに…話してなかったんだ…
そう思うと何だか心がくすぐったくなった。
「じゃ、改めて紹介するわね。 ムウ・ラ・フラガ。 私の彼よ。」
「…で、彼女がお隣さんの・ちゃんと、恋人のハイネくん。」
「…ハイネ・ヴェステンフルスです。初めまして。」
「…よろしく。」
「…じゃあ俺の後輩?」
「今院生ですよ。」
実はムウさんはハイネと同じ科の卒業生で、すぐにハイネと意気投合していた。
専門的な会話ばかりで内容がイマイチ良く分からないけど、レポートや研究で大忙しのハイネは目を輝かせて聞き入っている。
「あの教授、採点基準が厳しくて…毎回大変なんですよ。」
「俺も苦労したな…あの授業は。」
「…何の話だかサッパリ分からないわね…」
「…本当ですね。」
気が付けば私とムウさんの座席の位置が入れ替わっていて…
マリューさんと2人の姿を眺めながら苦笑する。
「マリューさんの彼…素敵な人ですね…」
「…変わり者よ?」
「そうですか?」
目を細めて笑うマリューさんはとっても綺麗だった。
普段から大人の女性という雰囲気はあるけれど、その印象を更に強くさせる。
マリューさんの彼は…私が気になってる人だった…
世間って狭いものだと改めて感じる。
ムウさんはマリューさんの恋人で…ハイネの先輩で…私の勤める図書館の利用客。
こんな風に繋がってく。
偶然と言えばそれだけの事かもしれないけれど…
「ちゃん?どうしたの?」
「…え…?」
「浮かない顔。気分でも悪い?」
「あ…いえ。雨、止まないな…って思って。」
降る雨は留まる事を知らず…窓は水滴と曇りで視界が悪くなっていた。
ピルルルル…
その時、閑散としていた店内に電子音が響いた。
「あ…俺の携帯だ…」
そう言って携帯を取り出したのはハイネ。
メールじゃなくて電話の音。
「どうした? は? マジかよ…。
ったく…仕方ねぇな…すぐ行くから。」
ハイネは面倒そうな面持ちで受話器の向こうの相手に言葉を返す。
「あぁ…近くだから5分で行く。 じゃあ後でな。」
「…悪い。呼び出し掛かっちまった。」
電話を切ったハイネは一番に私に視線を向けた。
「…大学?」
「あぁ。頼んでた論文のデータを消しちまったって。
俺のデータが残ってるから貸してやんないと間に合わないんだ。」
「…そっか…」
「折角休み取ったのに…悪い。」
「仕方ないよ。大事な用事でしょ?」
「今度埋め合わせするから。」
「楽しみにしてる。」
ハイネは椅子に掛けてあった上着を手に取った。
「じゃあ、俺はこれで…また話、聞かせて下さい。」
「あぁ。頑張れよ。」
ムウさんとマリューさんに軽く会釈をし、ハイネは店を後にした。
「…じゃ…私帰りますね。」
予定が無くなっちゃったし、この雨だし。
帰って久し振りにのんびり読書でもしようかな。
「折角の休日なのに勿体無いだろ…」
「…って言ってもこの天気ですし…」
ムウさんの言葉に悩みつつも言葉を返す。
「じゃ、映画でも行かないか?」
「…はい…?」
突然の誘いに戸惑わない人間が居るだろうか…。
相手には恋人が居て…そしてその恋人の前で他の女の子を誘うなんて…
「予定は無いんだろ? じゃあ俺に付き合ってくれよ。」
「いや…でも…」
流石にそれはまずいのでは…?
そう思ってチラッと横目でマリューさんの様子を伺った。
「ちゃん、確か観たい映画があるって言ってたんじゃない?」
「え…まぁ…何本か。」
「じゃあ付き合ってあげてよ。」
「えっ…?」
「私はこの通り、お店があるから動けないし。
折角だもの。映画代くらい奢らせちゃっていいわよ。」
…寛大な彼女だ…
それとも、私とムウさんがどうにかなるなんて考えもしないのかなぁ…。
まぁ…私の気持ちは別として、ムウさんがマリューさんを差し置いて私に目を向けるなんてありえない話だけど…。
それはそれで複雑な気持ちだ…。
「で?どれが観たいんだ?」
結局、私はムウさんの後を付いて映画館の前に居る。
「いえ…ムウさんの観たい映画でいいですよ。」
大体、誘い文句が『付き合ってくれ』だったのに、私が映画を選ぶなんて変だ。
「いや…沢山ありすぎて迷うんだよな…。
どれが観たいかって聞かれたら全部観たいし…。
…という訳で、君に決めてもらいたい訳なんだが…。」
「…それじゃあ私がムウさんに付き合って貰う事になっちゃうじゃないですか…。」
「そういう事になるな。」
最初の趣旨から完全に反転しちゃってる…。
でもこのまま譲り合ってても時間の無駄だし…。
「…ベタベタの恋愛映画でも大丈夫ですか…?」
「割と好きだよ。そういうの。」
平日の映画館は閑散としていた。
それに加えてこの雨だし…わざわざ出向く人はあんまり居ないみたい。
って言うか…
ベタベタな恋愛映画なんて選ぶんじゃなかった…。
数少ない観客のほとんどはカップル。
しかも中央じゃなくて端の方や後ろの方に座ってて…
人目も気にせずキスしてるカップルも居るんだもん。
普通に映画を楽しむつもりで来た私達はよりにもよって一番中央の良い席をゲットしてしまった。
「はい。コーヒーで良かった?」
「あ…ありがとうございます…。」
席を外していたムウさんの両手にはドリンク。
「熱いから気を付けて。」
「はい。」
隣に腰を下ろした彼は間もなく始まるであろうスクリーンに視線を向けた。
「何て言うか…ベタだな…。」
「それ以上は何も言わないで下さい…。」
ベタにも程がある。
案の定、ベタベタの恋愛映画に涙した私は上映が終わっても立てなくて…。
エンドロールの間に何とかしなきゃって思ったけど…無理だった。
メイクが落ちるほどでは無いけれど、目元はほんのり赤くなってるし…。
これはかなり恥ずかしいんですけど…。
「でも、いい話だったな。」
「…でしょう? 原作読んだんですけど、すごく好きなんです。」
「もしかして…持ってる?」
「まぁ…とりあえず。」
「じゃ、次の水曜日にでも貸してくれよ。」
「そうですね…映画から原作に入るのも違う見方が出来て面白いかも…。
じゃ、次の水曜日に用意しておきます。」
「じゃ、次の本も決まった所で、お茶でもしに行こうか。」
「…え…でも…」
「ん?どうした?」
「マリューさんの所…戻らなくていいんですか…?」
正直…こんなの気が引ける。
確かに笑顔で送り出してくれたのはマリューさん本人だけど。
ムウさんは何とも思っていないんだろうけど…私は違うから…
「小雨になって来たし…この時間帯は混雑するしな。」
「…お店、手伝ったりしないんですか?」
「厨房に入られるの、嫌いなんだと。」
「…じゃあ…私のお気に入りのお店、行きません?」
「いいね〜。」
「はぁ…」
一目散に体をベッドに沈め、天井を仰いだ。
久し振りだった…。
『楽しい』って感覚。
好きな映画を観て…お気に入りのお店でお茶して…
隣にはとびっきりカッコいい大人の男の人。
ちょっと優越感だった。
周りの女の子達の羨ましがるような視線。
ムウさんは誰が見ても素敵な男の人で…
同い年のハイネには無い大人の魅力があって…
会う度に、話をする度にドキドキする自分が居る。
最初は…今まで周りに居ないタイプの人だからだと思ってた。
でも…今は違うって…ハッキリと分かる。
ムウさんが…好きなんだ。
男の人として意識してるんだ。
でも、ムウさんには綺麗な恋人が居て…私の憧れる人で…
だから、好きになっちゃいけない。
忘れなくちゃいけないの。
私にはハイネが居る。
ハイネの事だって大好きなんだから…大事にしなくちゃいけないんだから…。
『From:ハイネ
Title:無題
折角休み合わせてくれたのに悪かったな。
ひと段落したらちゃんと連絡する。』
「悪いと思ってんなら電話くらいしろっての…。」
返信の気力を失った私は、そのまま携帯を閉じて枕元に放り投げた。
【あとがき】
間隔空きまくりで申し訳ありません。
ようやく4話です。
予定ではあまり長くはならない筈ですが…
ハイネさんが微妙に自己中キャラな気がしてなりません。
ハイネスキーさん申し訳ないです。
こんな感じで第4話、お付き合い下さいましてありがとうございます。
5話はもう少し早めに更新できるように頑張ります。
2006.11.14 梨惟菜