「じゃあ、行って来る。」


「うん。行ってらっしゃい。」



玄関先で恋人の出勤を見送るのは日課。


アスランはからカバンを受け取ると、そっと頬にキスを落とす。


目を細めて微笑んだは手を振って彼を見送った。





「さて…と。」


アスランが出掛けてから、は午前中の内に家事を済ませる。


事故でモルゲンレーテを辞めてから、近所の花屋に勤めるようになった


心配性のアスランがあまり働かないようにとに促す為、勤務時間も短い。













一通り家事を終わらせたはエプロンを椅子に掛け、身支度を調えた。


一つに束ねていた髪を下ろし、軽く化粧を施す。


小さなバッグを手に取り、玄関へと向かう。


外へ出たは鍵を掛け、確認して歩き始めた。





















  キオク





















「マリューさん!」


名を呼ばれ、顔を上げるとその先にはの姿。



さん!」


「そろそろお昼休みだと思ってお邪魔したんですけど…」


「えぇ。丁度休憩に入る所だったのよ。」


「良かったら…一緒にお昼どうですか?」


「えぇ。喜んで。ちょっと待っててね。」










「珍しいわね。こっちまで出て来るなんて…。何か用事でも?」


出されたサラダを口に運びながら、マリューが問い掛ける。


「いえ…ちょっとマリューさんにお聞きしたい事があって。」


「聞きたい事?」



の表情から、何となく内容を悟ったマリューは気まずそうにフォークを置いた。


「その…ムウさん…の事なんですけど…」


「彼が…どうかしたの?」




言動から見て、記憶が戻った様子は無い。

けれど…気にはなっているらしい。



「ちょっと…アスランの様子がおかしかったから気になったんです。」


「アスラン君が…?」


「どんな人なのか聞こうとしたんですけど…知り合って長くない人だ…って。
 でも、私とも接点はあまり無かったんでしょう?なのにどうして家を訪れたのかな…って。」



全ての記憶を失ったにとって、疑問の残る事はまだまだ多い。


色々と話は聞かされたけれど、与えられた過去の自分はほんの一握りにしか過ぎないのだ。


それでも何も思い出せない自分には他人から見た『』という記憶が全て。


結局誰かに頼る事しか出来ない自分がとても空っぽな人間に思えて仕方が無いのだ。





「そう…ね。確かに接点は無かったのだけれど…彼があなたを気にしてたのよ。」


「ムウさん…が?」


「年齢的にね、妹みたいだ…っていつも気に掛けてたのよ。
 直接声を掛ける事は滅多に無かったけれど…さんは家族も居なくていつも寂しそうだったし…。」



「そう…だったんですか…」



だから…私にも無事に戻った事を伝えに来てくれたのね…。


折角来てくれたのに、何も思い出せなくて申し訳ない事をしてしまった…。




「ムウさんは…今どちらに?」


「とりあえず住む場所を借りて…来週からモルゲンレーテで働く事になっているのよ。」


「そうですか。良かった…。」





















「そうですか…結局何も思い出さなかったんですね…。」


「あぁ。残念ながらな。 でも…これで良いんじゃないかって思ってる。」


「ムウさん…?」


ムウの一言に、キラは悲しそうな表情になった。



「確かに…俺はに会いたい一心で帰って来たけど…。今はちゃんと幸せそうに笑ってるだろ?
 今下手に俺の事を思い出しちまったら…その笑顔が消えるんだよな…って思ってさ。」










ピンポーン…






「ちょっと済みません。」


チャイムが鳴り、キラは立ち上がった。


今日は一緒に住んでいるラクス達が出掛けていて、キラが留守を任されていた。




「はい。」


ドアを開けると、その向こうにはが立っていた。


「こんにちは、キラ。」


「…?」


「ちょっとこっちへ出て来る用事があったから…久し振りに寄ってみたの。」



元気?


そう聞きながらニッコリと微笑む…。



「折角来てくれたのに…ラクスは今日は留守なんだ。」


「…そうなんだ…やっぱりちゃんと連絡してから来れば良かったわね。」


「ごめんね…僕にも今…来客中で…」



「キラ?お客さんなら俺は…」



「「あ…」」


玄関の向こうから姿を現した人物にとムウは同時に声を上げた。




「ムウさんだったんですか…こんにちは。」





















「ごめんなさい。送って貰ってしまって…。」


「いいって。どうせ時間持て余してるんだし…。」




それに…1人で帰らせるのも心配だしな…


帰り道に事故に遭った…って聞いて、また事故に遭わないかとそれだけが心配だ。


助手席で大人しく座っている彼女の横顔をチラリと見やる。




10代後半の女の子の成長は早い。

たった半年の間にこんなにも綺麗になった。



その成長を側で見守る事の出来なかった自分が悔しくて…




「あ…1人で出て来た事、アスランには内緒にしといて下さいね。」


本当は1人であんまり出歩くなって言われてるんです。



ちょっぴり困り顔でがムウを見た。
















「ありがとうございました。」


門の前で車を止めると、はスッと車から降りてすぐに振り返って言った。



「…また遊びにいらして下さいね。今度は普通の紅茶を用意して待ってますから。」


「え…?」


「?どうかしました?」



「俺…言ったっけ?ストレートしか飲まないって…」


「え?あれ…?」


ムウに言われ、は驚いて首を傾げる。


言った覚えは無い…

ここへ戻ってからは…



それは…恋人同士だった頃の記憶…?



「おかしいな…何でこんな事…」


「いや…間違ってないし…いいんだ。楽しみにしてるよ。」



「あ…はい…」





柔らかく微笑んだムウさんは窓を閉め、車を方向転換させた。


去って行く車が見えなくなるまで見送ったは悲しそうに目を細める。





何だろう…この虚しさは…



思い出しそうで思い出せない…


まだ…思い出せていない事が沢山あるけれど…



一番忘れてはいけない事を忘れたままの様な気がしてならない。



私は…何を忘れているの…?

















「くそっ!!」


暫く車を走らせたムウは海岸沿いに車を停止させ、叫んだ。


力任せにハンドルを叩いた手が赤く腫れ上がる…。



から零れた…何気ない一言が彼の決意を揺るがせた。


『今度は普通の紅茶を用意して待ってますから。』



彼女の奥底に無意識の内に残された僅かな記憶…。


彼女も自然と言葉に出していた…2人だけの記憶…。



手を伸ばせばすぐに届く距離に居るのに…

この手で抱き締める事だって容易い事なのに…



けれど…今のの心の中の俺は…そんな存在じゃない。

抱き締められたらきっと…今にも泣き出しそうな困り顔を見せるに決まってる。



それだけはしたくないんだ…。


傷付ける事だけは決してしたくない…。



けれど…

触れたくて…抱き締めたくて…




『ムウ…』


もう一度…そう呼んで欲しくて…


目の前で輝く君が俺を惑わせる。


いっそ、この地を離れてしまえば…


いや…離れた所で何も変わらない。



俺はいつまでも君に囚われたまま…




…愛してる…」


君にそう告げる事はきっともう…出来ない…。


















【あとがき】

もどかしい気持ち…

何も思い出せない…思い出したい…

そんな互いの複雑な気持ちを表現したいと思っていたのですが…

未熟者で済みません。

大変な事に気付きました。

ヒロインは一体何歳だ!?

設定上は16歳、アスラン達と同年代です。

ヒロイン設定書くべきだな…と思いました。

その内設置しますんで…(汗)




2005.6.12 梨惟菜







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