「もう体の方は大丈夫なの?」





「はい…ご心配お掛けしました。」





預かってもらっていた本を受け取り、そっと胸元に寄せる。




それと同時に感じる罪悪感。




体調が優れないと嘘を吐いてまで避けてしまった事。





直接返したいと言ってくれた彼の好意を台無しにしてしまった。





でも…それを笑顔でかわせるだけの力が今の私には存在しない。





目の前で微笑むのは小さい頃から私が憧れていた女性。




いつかは自分もこんな大人の女性になりたいと願っていた。





今、私の恋心に明かりを灯した人が愛する人。
































おとなりさん









































「でも急な話ね…お休みを変えるなんて。」




「……水曜日がお休みの方が何かと便利なんです。

 映画は安い料金で見れるし。」




「あぁ、確かにそうね…。」




一番の理由なんて話せる筈も無く、苦笑いで言葉を濁した。




一番尊敬しているマリューさんに本当の事が話せない。




悩みがあったらいつも親身になって聞いてくれた人なのに。




ハイネに片想いをしている時に相談に乗ってくれたのも彼女だし、

彼と付き合う事になって一番喜んでくれたのも彼女。




なのに、現状を伝える事が出来ない。







あなたの彼が好きになりました。





そんな事、言える筈が無い。




私とムウさんが特別な関係になる事は無いと分かっていても、

マリューさんにとって気分の良い話では少なくとも無い。



マリューさんの気分を害して、ムウさんに気を遣わせて…



そして私自身が惨めになるだけ。







先の無い恋だなんて滑稽過ぎて笑う事も出来ない。





なのにどうして求めてしまうのだろう。





マリューさんにそうしたように、誰にも見せないような笑顔で微笑み掛けて欲しい。



優しく…壊れ物を扱う様に抱き締めて…



そっと触れるだけのキスを贈って欲しい。








何て浅はかなんだろう。





想うのは勝手。





だけど、想えば想うほどに虚しさを感じる。





想っているだけで満足出来る筈も無く、気付けばより多くのものを求めてしまう。






人間って我儘な生き物だ。




だからもう会えない。





ハイネとも…もう会えない。




















ちゃん?」




「…えっ…?」





マリューさんの声が私を現実へと引き戻した。





「顔色が良くないわよ?やっぱりまだ調子悪いんじゃない?」




「…いえ…大丈夫…です。」




「そう?ならいいんだけど…」




「じゃあ…私そろそろ帰ります。

 ムウさんにもよろしく伝えて下さい。」




軽く頭を下げると足早に店を後にした。



扉に掛けられたベルがカラン…と音を立てる。




これから先、この店を訪れる事も無くなりそうだ。

















































「…で?私に相談ってワケ?」




「…相談って言うか…」




ストローで氷を弄びながらルナは私に視線を送る。




「最近ハイネの付き合いが良くなったと思ったらとんでもない状態になってたのね。」




「…ハイネから聞いてないの?」




「そういう事はあまり話してくれないわよ。

 かと言ってこっちから聞くのも変じゃない?」




ルナマリアは卒業後もマメに連絡を取り合っている友人の一人だった。




元々はハイネと専攻が同じでハイネを交えての交友関係。




今も彼同様、院に進んで勉強に励んでいる。








「相談って言うよりはハイネが今どうしてるか気になったって言うのが本音。」




「元気よ。内心はどうかは知らないけど。」




「…そう…」







飲み掛けのアイスティーに水滴が溜まる。




時折それを喉に通しては深い溜息が自然と零れた。












「で?どんな男なの?」




「…何が?」




の心を掴んじゃった男前は。」


















「…言葉では言い表せないや…」






「…完全に虜ね…」













私なんかがムウさんを語るなんておこがましい。









「ま、惚れちゃったものはしょうがないわよね。

 …そろそろ行かなくちゃ…待ち合わせしてるの。」




「…ごめんね…付き合って貰っちゃって…。」




「いいのよ…久しぶりに会えて良かったし。」




まだティータイムで盛り上がるカフェの席を立つ。




















ギラギラと降り注ぐ真夏の太陽が痛いほどに肌に突き刺さる。




「暑いね…」




「ホント…どうにかならないかしら、この暑さ。」




少し歩くだけで額に滲み出る汗をハンカチで拭いながら、駅を目指す。








水曜日が休みになって以来、私の休日は抜け殻のようだった。






大好きな映画館に赴く訳でもなく、街を1人で歩いてみたり…




気分が乗らない日は部屋で借りて来たDVDを観て過ごす。





借りるジャンルは決まって切ないラブストーリーで、気付けば頬を伝う涙。





1人よがりの恋にどうする事も出来ず、まるで初めての恋に戸惑う女の子みたいな気分になる。








そんな無垢な恋であったら良かったのに…





















「じゃ、私はこっちだから。」




「あ…うん。気を付けてね…」






改札口で別れようとしたその時だった。








「あれ…??」





「…え…?」






不意に呼ばれた自分の名前に鼓動が高鳴った。





避けていたその声を聞いてしまった瞬間、私の心臓は自分の物では無いような速さで動き出す。





着ているシャツの胸元をグッと掴んでから振り返ると彼の瞳に自分の顔が映った。










「あ…ムウ…さん…?」





どうして会ってしまうのだろう…




週に一度しか無い水曜日なのに…




会えないと思っていたのに、心の奥底では会いたいと思ってしまっていたから?








小さな街でもないのに…どうして私を見つけ出してくれるの…?





「……知り合い…?」




すぐに状況を察知したルナが戸惑う私に救いの手を差し伸べる。







「あ…えっと…図書館をよく利用してくれる人なの…。」





「…ムウ・ラ・フラガだ。初めまして。」





「初めまして、ルナマリア・ホークです。

 とは大学からの付き合いの友人です。」





2人は笑顔で握手を交わす。





ルナが居てくれて良かった…




ここに私1人だったら上手く言葉が紡げたか分からない。





不意打ちなんて卑怯だ。





会う覚悟も、視線を合わせる覚悟も出来ていなかったのに…
















「これから何処か出掛けるのか?」





「え…っと…」





返答に戸惑う。




このまま行けば私とムウさんは2人きりで同じ方向だ。





しかも同じ駅で降りて、同じ道を歩いて、彼は私の家の隣にある喫茶店へと向かう。










「えぇ、久し振りに大学に遊びに来ないかって誘ったんですよ。」





「君は…ひょっとして院生?」





「はい、とも同じ科だったんで共通の友人も多いんです。ね?」






「あ…はい、そうなんです。

 もうすぐ学園祭の時期で準備も始めるからって聞いて久し振りに会いたくなって…。」






「そっか…」





「ムウさんは…これからマリューさんのお店ですか?」






「ああ。じゃあ別方向だな。」






「そうですね…。」






、急がないと次の電車…」





「あ…じゃあ、これで失礼します。」












軽く頭を下げ、罪悪感を抱いたまま背を向けると再び彼の声がした。










!」






「…っ…はい…?」







「来週の水曜日、時間無いか?」






「…え…」






「頼みたい事があるんだ…また電話する。」
















































「やばいわ…」




閉まったドアに背を預け、小さく肩で息をする。






「想像以上にいい男じゃない…。」






ルナの言葉も簡単に耳を通り抜けてしまう。





頼みたい事?



私に?





頭の中で何度も反芻される別れ際のセリフ。






どうして私に?




私じゃないと頼めない事?









、大丈夫?」





「あ…うん…平気。」





空いている席を見つけたルナが私の腕を引いて腰を下ろす。








「…どうする?一緒に大学、行く?」





「…この先の駅で降りて夕方まで適当に過ごすよ。」





「…そうよね…大学は流石にね…」







『ハイネも居るし…』という言葉が含まれているのだろう。




さっきからルナには迷惑を掛けてばっかりだ。







「ありがとう…さっきは助かった…。」





「気にしないの。」







「じゃ…行くね…。」








電車が駅のホームに滑り込んだのを確認するとゆっくりと立ち上がる。





ここの駅前には大きな映画館が1つあった。




久し振りに映画館で映画を観よう。






とびっきり切なくなるような…恋愛映画を。
















【あとがき】

勢いに乗ってこちらから先に更新させて頂きました。

本編沿いが行き詰まってしまいまして…

ヒロインの友人役としてルナマリアに登場してもらいました。

色んなキャラを考えて一番ピッタリと来るキャラがルナだったので。

だいたいはミリィかルナなんですけどね。

もう少しでこの作品を完結させる事が出来そうです。

何となく先が見えて来た感じ。

最後までお付き合い頂ければ幸いです。



2007.7.22 梨惟菜








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