その一言が…俺の胸を締め付けたんだ…
手を伸ばせばそこに…
「先輩、行かなくてもいいんスか?」
「乗り気しないんだもん…。」
そう言って彼女はパラパラと手元の部誌を捲る。
その横顔を眺めながらそっと目を細めた。
窓から差し込むオレンジ色の光が彼女の横顔を照らす。
肩にサラサラと流れる栗色の毛先。
長い睫毛。
ふっくらと色づいた桃色の唇。
ページを捲る細い指先に視線を向ければ整った形の爪。
飾らない…けれど綺麗な彼女の指先。
教師に注意されながらも爪を飾る事を止めないクラスの女子とは大違いだ。
「別に帰ってもいいんだよ?」
先輩はふと顔を上げると俺にそう言った。
綺麗な瞳に俺の姿が映る。
「別に…特に予定も無いし、暇だし。」
「そっか…。」
そう言うと先輩は再び瞳を伏せる。
なっげぇ睫毛…
化粧をしている気配も無いのに、綺麗にカールしてる。
「今日、調子悪かったね。」
「そうっスか?」
「うん。サーブの決定率、良くなかった。」
「って柳先輩が言ってた?」
「ううん。聞いてないけど見てて思ったの。」
確かに今日は調子が良くなかった。
注意力散漫だ!って真田副部長に叱られたし。
だってしょうがねぇじゃん。
今日は水曜日だから。
ピルルルルッ…
先輩の鞄から流れる電子音。
「…珍しいッスね。」
「…何が?」
「着信音、着うたとかに設定しないんスか?」
「あーコレは別。」
普段はちゃんと流れるのよ。
そう言って先輩は鞄から携帯を取り出す。
素早く音を止めて、再び鞄に戻した。
メールなのか電話なのか…
どっちにしても先輩は返信するつもりも掛け直すつもりも無いみたいだ。
「さて…と。そろそろ行かなくちゃ。」
小さな溜め息をひとつ吐くと、先輩は気だるそうに部誌を閉じた。
「赤也…」
「はい?」
「…好きよ。」
その一言だけを残し、先輩は部室の扉を閉めた。
「跡部さんに…勝てるワケねぇじゃん…」
先輩はテニス部のマネージャーだ。
美人系で、言いたい事はハッキリ言うタイプで、かなりモテる。
そして…
将来を約束された相手が居る。
「は帰ったのか…」
「…丸井先輩は一緒じゃないんスか?」
「丸井なら数学教師に捕まって説教中だ。
先週の課題をまだ提出していないらしい。」
「大人しく待ってれば捕まんなくて済んだのに…」
丸井先輩もドジっスね…と笑うと、柳先輩はフ…と笑みを零した。
「…丸井なりの気配りだ。」
「…余計なお世話なんスよ…。
息苦しくて死ぬかと思ったし。」
「その様子だと進展は無かったようだな。」
先輩はお嬢様だ。
父親が会社を経営していて、小さい頃から色々と習い事とかしてたって。
今はマネージャー業が忙しくて何もしてないって言ってたけど。
でも、去年の合唱コンクールではピアノ伴奏してた。
すっげぇ綺麗な音色で、歌とか全然聴こえないくらい、先輩のピアノに聴き入ってた。
そんなお嬢様には婚約者が居る。
定番中の定番過ぎて笑えねぇ。
誰もが知ってる、跡部財閥の1人息子。
中学テニス界では誰もがあの人の事を知ってる筈だ。
うぜぇくらいに金持ちで自意識過剰で俺様で…
うぜぇくらいにテニスが強くて色男で…
俺が惚れてる女を独り占めしてる。
直接対戦した事はねぇけど、
あの真田副部長を追い詰めた人だ。
急に立海に乗り込んで来たかと思ったら副部長に勝負挑んで来やがって…
途中で部長に中断させられたけど、多分あのままやってたら副部長の負けだった。
じゃあ俺に勝てるワケねぇじゃん。
「…どうした?」
「え?」
「浮かねぇ顔だな…」
「…そんな事、無いけど…」
カチャ…とカップを戻す。
部屋に漂うアールグレイの香り。
緩やかに流れるクラシック。
彼にとってはくつろぎの空間なのだろう。
けれど、私にはどうしても馴染めない空間。
「相変わらず手を焼いてるみてぇだな。」
「…まぁね。」
「こっちは何とかカタがつきそうだぜ。」
「…本当?」
「あぁ。ようやく納得したみてぇだ。」
「良かった。」
「ったく。お前が首を縦に振ればこんな手間も掛からなねぇのによ。」
「しょうがないじゃない。私、貴方の妻になるつもりなんて無いもの。」
『着うたとかに設定しないんスか?』
してるよ…
貴方専用の指定着信音。
一度だって流れた事は無いけれど。
一度も電話、くれた事無いよね。
…私も掛けた事、無いけれど。
一度でいいから、貴方の名前をこのディスプレイに表示して?
私が着信を残せばきっと掛け直してくれるだろうけど、それじゃ意味が無いの。
貴方の意思で、貴方の手で残して欲しい。
それは私の我が侭だって分かってる。
もしかしたら怖いのかもしれない。
私が掛けても出てくれないのかも…
着信が残ってても掛け直してくれないかも…
その不安が現実になってしまったら、私はこの恋を終わらせないといけないから。
手に取った形態を開き、電話帳を開く。
「…もしもし?柳…?」
「先輩〜いつまで付き合わせる気なんスかぁ?」
「言ってるだろぃ。俺が飽きるまでだって。」
だからって男3人でケーキバイキングはキツイ。
しかも丸井先輩と柳先輩と俺ってどういうメンツだよ。
柳先輩ならきっと断ってくれるだろうと思ったのに。
何故か今日に限って『付き合おう』って返事をした。
完全に丸井先輩の独壇場だ。
周囲の女子の集団に負けず、ケーキを片っ端から食べまくる。
途中で何回か女子の集団に声を掛けられたけど、完全無視。
色気より食い気ってね。
そんな先輩が何だか羨ましい気もするけど。
「そろそろ出ないか?」
電話から戻って来た柳先輩が座るなり提案した。
「そうッスね!そうしましょうよ!」
「…仕方ねぇなぁ…」
丸井先輩は意外にアッサリと手を止めた。
何だよ…俺の言う事はちっとも聞いてくんない癖に。
「あれ?何でこっちから行かないんスか?」
歩道から急に反れ、公園へと入る先輩を追う。
いつもならこの道を真っ直ぐに帰るのに…。
「この先で1人合流するんでな。」
「合流?誰と?」
「行けば分かる。」
丸井先輩も知った風に答える。
まだ俺を何処かへ連れ回す気かよ…。
池沿いを歩いていると、ベンチに人影が見えた。
「早かったな。」
「車で送って貰ったから。」
「そうか。」
何で…先輩がココに?
今日は跡部さんとデートの日だろ?
「赤也」
「…え?」
「がお前に話があるそうだ。」
「は?」
「って事で、後はシクヨロ。」
「ちょ!何言って!!」
この状況で2人にすんのかよ!!
「赤也、話…あるの。」
背を向ける2人を呼び止めようとしたら、先輩が俺の袖を掴んだ。
いつもの先輩と…何処か違う。
「私、赤也に好きって言ったよね…。」
「…はい…」
「でも、答え、聞かなかったよね?」
「…はい。」
そう。
先輩は何度か俺に「好き」と言った。
けど、言ってすぐに去ってしまう。
俺も何て言ったらいいか分からなくて何も答えなかった。
だって、先輩は「好き」以外に何も言わないから。
「好き」には沢山の種類がある。
友達としての「好き」
姉弟としての「好き」
恋人としての「好き」
先輩の「好き」が何を意味しているのか分からなかった。
「跡部との事、ちゃんとしたら言おうと思って。」
「は?」
「私は、赤也の彼女になりたい。」
「何言って…だって跡部さんは…」
毎週水曜日は決まって跡部さんとデートの日だった。
本当は知っていた。
シンプルな電子音は跡部さんからの指定着信音。
知っていて…知らない振りをしていた。
俺は先輩と違って普通の家庭の一般人だし。
恋敵は金持ちの御曹司だし。
「跡部には告白されたけど、ちゃんと断ってたの。」
「はぁ?」
「でも、私達だけで解決出来る問題じゃなくて。
跡部には婚約解消の為に色々掛け合って貰ってたの。
今日やっと話が纏まったって。」
「ちょ…ちょっと待って下さいよ!」
「…?」
「何で俺なんスか!?
俺より跡部さん選んだ方が絶対に将来安定でしょ!」
「でも赤也が好きなんだもの。」
「俺なんか一般家庭の一般人だし年下だし、先輩には…」
絶対に跡部さんの方が幸せになれるに決まってんじゃん…
「赤也じゃなきゃダメなの。」
何でそんな顔するんだよ…
「他に好きな人が居るならそう言って。」
もうダメだ…
先輩にそんな事言われたら堕ちるしかねぇじゃん。
俺なんか釣り合わねぇって思ってるのに。
「…俺なんか選んだらきっと後悔しますよ。」
「しないよ。2年も見てたんだから。」
「後でやめたって言われても手離してあげないッスよ。」
「…むしろ離さないで欲しいもん。」
ああ…
そうやって先輩は俺をダメな男にするんだ…
もう溺れるしか無い。
観念した俺は先輩の手を取り、そっと腕の中に抱き寄せた。
「すっげぇ好き。」
ずっとずっと…
俺だって2年も先輩の事、見てた。
無謀な恋だって知ってても諦め切れなくて…
「あー俺、よく2年も理性保ってられたよなぁ…」
「私も。」
「へ?」
「何度も唇奪ってやりたいって思ってたよ。」
そう言って先輩は俺の唇をそっと塞いだ。
赤也ドリ。
どうも2年生キャラが好きみたいです。
何故、赤也VS跡部にしたのかは謎です。
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