「こんにちは、嬢。」





「こんにちは、イザーク様。どうぞお上がりになって下さい。」







「失礼します…。」











3日に一度の訪問…





いつも同じ時間に必ず現れる彼…






腕にはいつも花束が抱えられ、挨拶と共に手渡されたそれは甘い香りを漂わせる。











「綺麗…本当にいつも済みません。」






「いえ、お気に召しましたか?」





「はい、とても。」

















受け取った花束を大事そうに抱えて微笑むは一層美しく…




イザークもそんな彼女を見ていつも満足そうに微笑む。





けれど、そんなイザークの想いも彼女には伝わってはいなかった。




それをイザークはまだ知らない…。
























恋愛マニュアル

























とイザークが『婚約者』という関係を結んで約3ヶ月。







お互いに名前は知っていたものの、実際に会うのはお見合いの席が初めてだった。








互いの両親は共に議員であった事




婚姻統制が敷かれた今、2人の遺伝子の相性は抜群であった事





それが、2人を繋いだきっかけ。













でも、会った瞬間から惹かれ合っていた。





共に秀でたコーディネイター特有の美しい容姿。






きっかけは単純ではあったけれど、会う度に知りたいと思うようになり…




でも、なかなか打ち明ける事の出来ない互いの想い…。





抱く気持ちは同じなのに、『婚姻統制』の単語が2人の気持ちにブレーキをかける。














義務だから会っているんじゃないのに…



会いたいから会っているのに…








でも、それが言えないから伝わらない。






















「では、また3日後に…。」





「はい、お待ちしています。」








イザークが手を伸ばし、の柔らかな頬に触れる。






一瞬だけ、頬に触れたのは彼の唇。








「お気を付けて…。」





目を細めて微笑んだは、去り行く婚約者の背中を寂しそうな瞳で見送った。


























「はぁ…」






ベッドに深く体を沈め、窓際に視線を向ける。






先程、イザーク様から贈られた花が部屋に彩を添える。








お花は大好きだからとても嬉しい…。



好きな人からの贈り物だったら尚更嬉しい。









でも、イザーク様はこのお花をどんな想いで持って来て下さるの?








婚約者に会うんだから、手ぶらで来る訳には行かないから?





だから、いつも律儀にお花を持って来て下さるの?


















必ず約束の時間には遅れない。





いつも決まってお花を贈ってくれて…





同じ様に、日当たりの良いお部屋でお茶を飲んでお話をして…





そして、いつも同じ時間にお別れをする。





かならず頬にキスを残してくれる…。







とても時間に律儀な人…。







真面目で誠実で…優しい人。














でも、最近は彼に会う度に思うの。





私とイザーク様の間にある感情は『恋愛』じゃないの。






彼は私を不愉快にしない様に…一生懸命演じてくれてるの。






まるでマニュアルのように忠実に…。












だから余計に寂しい…。



私だけが彼を好き過ぎて寂しい…。
























例えばこれが…本物の恋人同士だったら…




3日に一度しか会えないなんて耐えられる?





会えないとしても、声が聞きたいと思う。




少しでもいい…声を聞いて…話をしたいと思う。






それさえ無い私とイザーク様…。






私だけがこんなに好き。




でも…私から連絡を取る勇気は出なくて…。







イザーク様はどんな物が好きだとか…休日は何をして過ごしていらっしゃるのか…



知りたい事は沢山あるのに、結局何も知らない。




3ヶ月も経っているのに…










イザーク様と会っていない時間はこんな事ばかり考えてる。





会いたくて…声が聞きたくて…でも聞けなくて…






もどかしいよ…。





























「ここで止めて下さい。」






「え…ですがお嬢様…」









数日後…




街へ買い物に出た帰り道…






車に乗っていたは急に運転手に車を止めるように命じた。













「何だか歩きたい気分なの…ここから歩いて帰ります。

 荷物だけお願いしても構いませんか?」





「それは構いませんが…お1人で大丈夫ですか?」





「大丈夫です。じゃあ、宜しくお願いしますね。」










車から降りたは歩道をのんびりと歩き始めた。








陽が傾き始めた夕暮れ。



散歩をするには丁度良い時間帯。




たまにはこうしてのんびりと歩くのも悪くないなぁ…。




普段は車窓から流れるように過ぎて行く景色をゆっくりと眺める。




いつもと違った景色に見えてとても新鮮で…。




こうしてイザーク様とも並んで歩けたらいいのに…。




















「…あ…」




通りに面して建てられた、趣のある建物。




普段は通過するだけのその場所は、公共の図書館。






「たまには…本でも借りてみようかしら…。」







家路へと向かっていた足は、いつのまにか図書館の敷地へと誘われて行く。



















夕方の図書館には沢山の学生が居た。





は文学書を選ぼうと、奥のコーナーへ足を進めようとした。







「あれ…?嬢?」




急に呼ばれて、辺りを見渡す。





「こっちこっち!」




こちらを向いて手を振るのは、褐色の肌の青年…。




あの人…どこかで…






見覚えあるような…無いような…







「こうして会うのは初めてだったな。俺はディアッカ。ディアッカ・エルスマン。」





「あ…イザーク様の…!」





エルスマン家のご子息で…イザーク様と同じアカデミーに通っていらっしゃるご学友。




こうしてお会いするのは初めてだけど、イザーク様からお名前は聞いた事があった。









「初めまして…と申します。」






「へぇ…噂通りの美少女だな。」





「あ…ありがとう…ございます。」








イザーク様とは全く違うタイプに見えるけど…とても女性にモテそうな方…。







「あの…お1人…ですか?」




「ん?いや…イザークも一緒。

 今日は授業が早く終わってさ、でも提出のレポートがまだ終わってなくて…。」





「そうなんですか。」





「って言ってもイザークはもう済ませてるみたいだけどな。

 だから今は民俗学の本を物色してるみたいだぜ?」






「お好きですよね…民俗学。」





「だな。いつもここに来たら動かないんだよ。」







私の知らないイザーク様…何だか嬉しいな…。






「良かったらさ、アイツの話、聞かせてよ。」




「え…?でも、イザーク様は?」




「アイツは一度熱中しだしたらなかなか終わらないんだよね。

 丁度レポートも終わって退屈してたんだ。」






それに、婚約者と過ごすイザークって興味あるし?





ディアッカ様は笑みを浮かべ、隣の椅子を引いてエスコートする。






















「え!?何!?じゃあアイツ、いつも花束持って来るの!?」




「え…えぇ。」




「うっわ〜。すげぇ見てみてぇ…。」






…そんなに驚く事なのかしら…。




いつも当たり前の様に持って来て下さるのに…。







「俺の中でアイツが花屋で花を買うなんて…想像出来ねぇ…。」




「そう…なんですか?」





「いや…やっぱアレだな。恋が人を変えるって本当かもな…。」




「え…?」






















「…もうこんな時間か…。」




窓際で本を読み耽っていたイザークが腕時計に目をやると、既に30分が経過していた。





いくらディアッカでもそろそろ終わっている頃だろう…。




読んでいた本を閉じ、元の位置に戻す。







サラサラと靡く銀髪を翻し、ディアッカの元へと向かった。








…が、ディアッカが誰かと話をしている姿が目に入る。





「……嬢…?」






ディアッカの隣に座るのは、紛れも無く自分の婚約者だった。



今までに見た事の無い笑顔で楽しそうに談笑している。





何故彼女がこんな所に居るのか…




最初に抱いた疑問はもはやどうでも良かった。









自分でも見た事の無いあの笑顔が、友人に向けられている。



















嬢、こんな所で何を…」




「あ…イザーク様…」




家の外でお会いするなんて、お見合いの日以来で…



嬉しくて振り向くと、イザークは眉間に皺を寄せていた。





ご迷惑…だったかしら…




その喜びは一瞬にして、悲しそうな顔に曇った。












「あの…イザーク様…」




「もう遅いです。自宅までお送りします。」




「…はい…。」






















「あの…イザーク様…」




「何か…?」




家へと向かう道でも彼は無言で、気まずい空気が辺りを包む。




「怒って…いらっしゃいますか?」




「いえ…別に怒ってなど…」





私は嬉しかったのに…



私の知らないイザーク様を知る事が出来て嬉しかったのに…





イザーク様はそうは思って下さらないの?



















「イザーク様…」




後ろで聞こえていた足音が急に止まり…



直後に名前を呼ばれたイザークは振り返る。







「どうしました?」




「…ご迷惑でしたら…婚約のお話、お断りして下さい。」






「…嬢…何を…」






「私だけがあなたをお慕いしているのは辛いです。」









好きなんです…。




会いに来て下さるだけでは物足りないんです…。




いつも同じ事の繰り返しだけでは寂しいんです…。






私の事をもっと知って欲しいんです。




あなたの事をもっと教えて欲しいんです。












嬢…貴方は勘違いをされているようだ…。

 そして俺も…同じ様に勘違いをしていたようです。」





「え?」






「あなたをお慕いしているのは自分だけだと思っていました。」





「イザーク…様…?」






今…何と仰いました…?






「貴方が好きです。初めて会ったあの日から惹かれていました。」




「…嘘…」





「貴方の事を知りたいと思えば思うほど、どうしたらいいか分からなくなる。

 嫌われないように…少しでも興味を持って貰える様に…貴方が好きだと仰っていた花を…」




マニュアルじゃなくて…私の為に…?



私が初めてあったあの日に言った些細な一言を覚えて下さっていた。




だから…会う度にお花を…?











「だが…会う度に不安でした。想いを募らせていくのは自分だけなのでは無いかと…

 いつか、この婚約は無かった事にして欲しいと言われるのではないかと…」









同じ不安を抱いて過ごしていたなんてちっとも知らなくて…。






嬉しくて…胸が苦しくて…



涙が溢れた。














「イザーク様…私は…」





嬢、それ以上は言わなくてもいい…。」






いつもなら伸ばされた手は頬に触れる。




けれど、今日はその手はの腕を優しく掴み…






胸の中にの体を抱き寄せた。















「イザーク様っ///」








突然で…初めての出来事には戸惑う。




思っていた以上に広くて逞しい。




引かれた腕の強さは男性特有のもので…








「もう一度言う…。貴方が好きです。」




「イザーク様は…3日に一度だけお会い出来れば十分ですか?」




「いいえ…お許しが頂けるのであれば毎日でもお会いしたい。」





「毎日私の家でお会いしているだけで…楽しいですか?」





「楽しいですよ。けれど、貴方と色んな場所に行きたいと…一緒に色んな物を見たいと思います。」







「私も…イザーク様が好きです。

 もっともっと…イザーク様の事が知りたいです。」








一緒に過ごす事の喜び…もどかしさ…



義務では無く、自らの意思で…



出会った事が運命だったと…必然だったと…



これから長い道のりを共に歩むのだから。









「まずは…お互いの呼び方から変えないとな…。」





















【あとがき】

ありがちな展開で申し訳ないです。

でも書いてみたかった。

婚約者同士なのにすれ違う…ってもどかしい雰囲気が出ていれば良いのですが…。

久し振りに控え目なヒロインを書いた気がします。

お嬢様、好きなんですよね〜。

こんなんで本当に済みません。


莉音様、こちらでは初めましてですね。

リクエスト、ありがとうございます。

また感想・ご意見など頂ければ幸いです。










2005.10.15 梨惟菜











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