不器用な貴方に…
イザーク・ジュール
「えっと…これでいいの…かな?」
キッチンから聞こえる彼女の声と甘い香りに、ソファで読書をしていたイザークは目を細めた。
晴れた日の午後の事…
2人だけで過ごす、久し振りの休日。
天気は良いけれど、まだ2月の半ばである今日も外へ出たら冷たい風が吹いている。
春の訪れはまだ少し先になりそうだ。
「ちょっと甘い…かなぁ…。」
湯せんで溶かしたチョコレートを人差し指でひと掬いしたはそれを口に運んだ。
ビターチョコを選んだけれど、それでもチョコはチョコ。
口に広がるのは、ほろ苦い甘み。
イザークが甘い物を好んで食べないのは知っている。
それでもこうしてチョコレートを手作りしているのは、もうすぐ訪れるバレンタインデーの為。
本当は内緒で作って渡すつもりだったのに…
本当に私ってドジ。
材料を一式揃えてお店から出て来た所にイザークと遭遇しちゃうなんて…。
で、買った物の中身を追求されてバレちゃって…
そしたら、
『次の休みに俺の家で作って渡してくれ』
だなんて…。
イザークがすぐ側に居る所でチョコレートを作るなんて緊張しちゃう。
しかも私の家のキッチンに比べたらずっと広いし綺麗だし…。
「もう少しチョコ、溶かした方がいいかな…?」
思ったより少なかったから、多めに買っておいたチョコも湯せんにかける。
「お湯も足さなくちゃ…」
水を入れたヤカンをコンロにかけ、火を付けて…
もっと手際良く作れたら良かったんだけど…
料理は苦手では無いけれど、何をするにも要領が悪いみたいで、人一倍時間が掛かってしまう。
それも改善していかなくちゃ…。
「えっと…どこまでやったっけ?」
パラパラと本を確認しながら次の工程を確認していたら、ヤカンが沸騰した合図。
「わ!いけない…」
慌ててコンロへと向かい、火を消す。
その時、勢い余ってヤカンに手を触れてしまった。
「きゃ…っ!」
ガシャン…!!
「…!?どうした!?」
何かが落ちる音が聞こえたイザークは慌ててキッチンへと駆け込んだ。
「…何をしている!」
「…熱…っ…」
「熱湯を被ったのか!?」
床にうずくまった状態で、は左手で右手を押さえていた。
イザークは慌ててを立たせると、水道の蛇口を捻った。
「痛っ…!」
「少しだけ我慢しろ!早く冷やさないと跡が残る!」
真っ赤に腫れた右手にイザークは顔を歪めた。
「これで大丈夫だ。」
「…ありがとう…。」
イザークの手当ては迅速かつ丁寧で…
の右手には綺麗に包帯が巻かれていた。
私なんかよりずっと器用な手先…。
軍人だもの…何でも器用にこなしちゃうんだろうなぁ…。
軍人を感じさせない綺麗な指先に思わず見惚れてしまっていた。
「ごめんなさい…キッチン、汚しちゃって…チョコもまだ途中だし…。」
この状態ではチョコを作るのも無理だし…仕方なく片付けようと立ち上がろうとしたその時…
「いい。片付けは俺がやる。」
イザークが私の手首を掴んでそう言った。
「でも…」
「その手では時間もかかるだろう?気にするな。」
お前はここで休んでいろ…と、再びソファに押し付けられるような状態で腰を落とした。
イザークは何をするにも器用…。
正直、キッチンに立つ姿も様になってたりして…。
お料理も上手そうだなぁ…
女としてはちょっと悔しい気もする。
折角…手作りのチョコ、プレゼントしたかったのにな…。
結局、火傷した手が完治しないまま、バレンタイン当日を迎えてしまった。
夕方からイザークとデートの約束をしていた私は、午前の内にプレゼントを買いに街へ出た。
結局チョコレートは手作り出来なかったから…
お店で市販のチョコを購入し、綺麗にラッピングして貰う。
確かに私が手作りするよりもずっとマシかもしれないなぁ…。
そう思いながら、チョコに添えて何かプレゼントしようと思い、デパートへと足を踏み入れた。
店内で買い物をするカップルがやけに多いような気がする…。
特に紳士物の小物を売っているお店にはカップルが沢山。
きっと彼に欲しい物を選んでもらってるんだろうなぁ…。
中には女の人が1人で選んでいる光景も目にしたりして…。
私は何をあげようかな…。
普段使える物が一番よね?
色々と並ぶ店内を歩き回って頭を捻る。
イザークに似合いそうな物って何だろう…?
そう言えば…愛用していた万年筆、随分古くなってたみたい…。
うん、万年筆にしよう!
普段よく使っている物だから、きっと役に立つだろうし…。
「すまん、遅くなったな。待ったか?」
「ううん、大丈夫。私も来たばっかりだから…。」
約束の時間になってイザークは待ち合わせの場所に現れた。
「今日はレストランを予約してある。行くぞ。」
「あ…うん…。」
差し伸べられた手は右手。
いつもと逆の手を差し出してくれる彼の優しさが嬉しかった。
火傷をしていない左手を彼のものに絡めた。
「イザーク、コレ…。」
公園のベンチに腰を下ろした所で、はカバンから包みを取り出した。
「…コレは…」
明らかにバレンタインのチョコレートだと感じたイザークは顔を歪めた。
「あ…手作りじゃないよ?お店で買って来たの。
私が作った物よりはずっと美味しいと思うから…。」
「こっちは…?」
チョコレートの箱と一緒に添えられたのは細長い小さな箱。
同じ様に丁寧に包装を施されていた。
「えっと…万年筆なの。イザーク、いつも使ってるでしょ?
だから役に立つかなぁ…って思って…。」
「そう…か…。」
「…もっと他の物の方が良かったかな…。」
「いや…嬉しい。大事に使わせてもらう。」
「イザ…っ…」
そう言うとイザークはを腕の中に抱き寄せた。
トクン…トクン…と彼の心臓が高鳴っているのが聴こえる。
いつも外ではこんな事をしないのに…それが嬉しくて自分の腕を彼の背中に回した。
「イザーク…好きだよ…。」
「あぁ…知っている。」
から贈られたチョコレートは有名店の高級な物だった。
一口サイズのチョコを手に取り、口に運ぶと甘ったるい味が口内に広がった。
「…やっぱ…甘い…?」
「あぁ…甘いな…。」
そう言いながらもイザークは2個目を口に運んだ。
「え…っ…?」
チョコを口に放り込んだその手は、そのままの後頭部へと回される。
ぐいっ…と引き寄せられ、その直後に唇が重なった。
「ん…っ///」
目を閉じて彼のキスを受け入れると、口の中に甘いチョコの味が広がる…。
「甘いだろう…?」
口端を吊り上げて微笑みながら、イザークは頬に触れた。
「…甘い…」
「やっぱりの作ったチョコの方が美味いな…。」
「え…?食べた…の?」
「あぁ…片付けた時に…な…。」
まだ作りかけの段階だったのに…
「来年こそは手作りを頼むぞ…。」
「…練習しておきます。」
そう答えると、イザークは嬉しそうに妖笑し、再び口付けた。
【あとがき】
イザーク編でした…。
イザークにしては甘いかなぁ…なんて思ってみたりして。
タイトルの『不器用な貴方に…』はイザークの事では無くてヒロインの事です。
イザーク、手先は器用そうですよね。
恋愛に関しては不器用そうですが…。
2006.2.25 梨惟菜